Ich habe hunger

あふりかエンジニア、アフリカ向けのB2BのSaaSを開発する

理解と共感というお話

今日、会社で「理解」と「共感」について話すことがあった。

議論や会議のようないくつかの意見が複数人の他者から出て来て、それを基に話し合い、意思決定をする場において、しばしばズレることがある。例えば、Aさんから出たa案が良い案でない場合、それを棄却しようとするとAさん自身が個人攻撃されたような気持ちになったり、論理は通っているはずなんだけどもどうしても納得してくれない、納得しないポイントを聞いてもはっきりしない(というか気持ちの問題だったりする)ということがある。そういう人が混じってると、往々にして議論が議論でなくなり説得になったりする。

この時に、いつも頭でイメージしているのが「理解」と「共感」というもの。

「理解」と「共感」の意味

理解とは

1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「―が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を―する」
3 「了解2」に同じ。

共感とは

他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。「―を覚える」「―を呼ぶ」「彼の主張に―する」

辞書的な意味はこんな感じだし、僕もその通りだと思ってる。

「理解」と「共感」のイメージ

この「理解」と「共感」を直線上に置くイメージをしている。
左から右へと直線があるが、左側にあるもの通過しないと、右側にあるものに到達しないというイメージ。下図の場合は、理解が出来ないと共感まで辿り着かないということ。

  理解     共感

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自分が持っているイメージは上記の通りで、議論の中では、(提案者は抜きにした)"A案"に対して、個人的な感情は抜きにして「理解」することに努める。その後、「共感」出来るかを考える。議論の中で共感はそんなに要らないとは思うんだけども、物事に対する自分の感情が「理解」よりも先に出ないように意識している。

  共感     理解

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でも、たまにこの「理解」と「共感」の順番が逆な人が居る。順番が逆なだけなら別に良いんだけども、「共感」してもらわないと「理解」するところまで辿り着かないという現象が起こっている時にはもう大変。僕の狭い狭い経験上だけなので、一般的ではないと信じたいが、そのような現象が起こっている人は、提案者と案を別けたり整理せずに一緒にしてしまいがちだったりする。
そうなると、その人にとって自分が共感するに値する人間でなかったら、案が気に入らなかったら、その時の機嫌が悪かったら・・・色々な要素は考えられるが、理解に辿り着くことが困難になる。そういう状況だと、まともな議論なんて出来やしない。もっとも、全員が理解しなければならない訳でもなかったりするが、一応一緒に活発な議論をするという前提では必要であると考えている。

議論がどうにもうまく噛み合ってない時

議論がどうにもうまく噛み合ってない時ってのは非常にストレスが溜まる。特に、プロジェクトを進めるや何かを決めるという同じ目的のために話しているというのに、なんで噛み合ってないのかが分からないと余計にストレスが溜まると思う。そんなときは、この「理解」と「共感」というイメージをなんとなく思い出してみて、「共感」の方が早く来てるんだな、とか考えてみてほしい。相手の思考回路を簡単で良いからトレースできるとスゴく楽。話し合うための前提も合わせにいけるし。

しかし、議論をすることが必ずしも是ではないので、議論の形態を変えるもよし、メンバーを替えるも良し、議論自体を辞めて誰かがぱっと決めてしまうのもありだということも覚えておきたい。無駄な時間は使いたくないからね。



と、ここまで書いたけど僕よりもええ感じに分析している人も居るので下記も参照されたし。

blog.goo.ne.jp
d.hatena.ne.jp

議論が出来る人、出来ない人に関してはこの辺見ておくと良いんじゃないかな。